2016.04.07

2016年はデジタルヘルス元年になる ~アメリカを中心としたデジタルヘルス領域の拡大とゲノム産業の最新情報~

みなさん、こんにちは。JOMDDの石倉です。
2016年も既に3ヵ月が経っておりますが、医療・ヘルスケア産業において新たな重要なニュースが飛び交っていますので、今回は、昨年から起こっているデジタルヘルス(情報技術)の社会実装とゲノム産業に関する大きなイベントをおさらいしてみたいと思います。
最近はデジタルヘルスに投資するVCや企業等も増えており、IT・Web業界か見ても医療業界から見てもますます重要な領域になりつつある市場の概況をアメリカでの事例を中心にご紹介します。

まず、2015年1月にバラク・オバマ米国大統領が、Precision Medicine Initiativeへの支援を表明しました。これに関して、NIH(米国立衛生研究所)のFrancis Collins氏らがNEJM(New England Journal of Medicine)誌に総説を発表し、短期的なテーマとして癌が掲げられました。癌はまさに、昨年日本で出版された「医療イノベーションの本質」(原著「Innovators’ Prescription」)で言及されている「直感的医療」→「経験的医療」→「精密医療」のバリュー・シフトが目まぐるしい領域であり、従来の直感的・経験的医療(解剖学的観察)から、精密医療(ゲノム解析+分子標的薬)という組み合わせにトレンドが移行していくと思われています。この号令に呼応する形で、FDAの関連規制整備も進んでいるようです。
またこれに関連して、今年1月、バイオテックのビリオネアであるPatrick Soon-Shiong博士が中心となり、製薬企業やアカデミアなど業界全体を巻き込んだ取り組みとなる「Cancer Moonshot 2020」も発表されています。

続いてGoogleやSamsungと同様に、Appleも大規模病院との協業をリリースしました。専用API「HealthKit」は、外部の医療機器・サービスとの連携を視野に入れており、米電子カルテ最大手のEpic Systemsと連携したデューク大学での試験的導入は注目に値するものでした。

10月になると、Wall Street Journal誌によって「女性版スティーブ・ジョブス」と注目を浴びていた創業者Elizabeth Holmes氏が立ちあげた非侵襲性の高い血液検査キットを開発するベンチャーTheranosにおいて、そのラボの品質保証体制が適切に構築されていなかったという事実がリークされ、界隈のメディアでは今後のTheranosの動向に注目が集まりました。(※1)
これに対し、CMS(the Centers for Medicare and Medicaid Servies)は、Theranos社に対して改善命令を通知し、その後提携していた大手民間保険会社も一部の地域で取り扱いをストップすることを発表しております。
シリコンバレー×ヘルスケアという文脈で見れば、過去最も注目を浴びていた「ユニコーン」の一つだっただけに、この事件が市場にどう影響を与えるか引き続き注意が必要であることは間違いないでしょう。

このように、ポジティブなニュース・ネガティブなニュースが飛び交いつつも、当該領域に対するベンチャー投資は熱を帯びて順調に増加しています。Rock Healthのレポートでは、2015年は投資額が$4.5 Billionを越え、熱狂的な成長を見せた2014年をわずかに上回っています。(※2)2014年はPredictive Analysisやハードと連動するソフトウェアへ投資が集まっていましたが、2015年はウェアラブルやセンサー、Consumer Engagement領域等、一般消費者・患者とのコミュニケーションや健康管理領域に投資が集まっているようです。例年の傾向ではありますが、分野別にみれば特定領域に過半数近い投資額が集まっており、また100億円級の大型ディールをけん引しているのは戦略パートナー(事業会社等)であることを見ると、純粋にベンチャー投資が活況であると言えない面があることは重要な事実でしょう。

また、今年に入り、サンフランシスコにて毎年恒例で開催されるJP Morgan Annual Healthcare Conferenceにおいて、幾つかの興味深い発表がなされていました。恐らく最も注目を浴びたニュースは、Illuminaがビル・ゲイツやジェフ・ベゾス、そして老舗VCのARCHと共にUS$100Mで設立したGRAILと呼ぶ新たなベンチャーでしょう 。(ARCHは、Illuminaの創業もサポートしています。(※3))

このように、デジタルヘルス技術の社会実装においては、環境要因の違いもあり、やはり米国が一歩進んでいると言えます。そこで、各ステークホルダーの昨今の技術導入状況を把握するため、2015年の後半にかけて以下のとおりアメリカにおいて実態調査を行いました。また、2015年12月にサンフランシスコで出席したイベント「UYG」(※)で得られた、ゲノム産業の最新情報・知見についてもここでハイライトを共有したいと思います。
※UYG: Understand Your Genome:米Illumina社が主催するゲノム産業の最先端のケース・スタディを産学間の両面から共有・協議するカンファレンス

■病院
元サンマクロシステムズ創業者でKhosla Venturesを運営するVinod Khosla氏は以下のような発言をしています。

“How doctors spend their time will change dramatically,”
“They will shift to spending a smaller proportion of it ordering diagnostics and interpreting results, and much more on the social elements of healthcare—helping patients and families think through treatment options.”

果たして、彼らのようなビジョナリーが掲げる「未来」は、既に臨床現場で起こりつつあるのでしょうか。
スタンフォード大学では、数年前よりCIOオフィスが立ち上げられ、院内(Stanford Health Care)にDirector of Innovationが登用されています。いかに院内のオペレーションを効率的に経営できるかが、Affordable Care Act(オバマケア、以下ACA)として認定を受けるために各大規模病院に問われており、デジタルヘルスのデバイス単体ではなくソフトウェアや使用用途も含めたBtoCサービスの提案が求められています。しかし、これらの試みは、個別の医師が主導して行っており、病院全体として積極的というわけではないようです。
この他、西海岸をリードする病院・保険グループKaiser Permanenteは、患者とのコミュニケーションツールへの投資を続け、中西部のMayo Clinicは循環器領域の診断見落としを防ぐためのデジタルツールを試験的に導入しています。
院内におけるデジタルヘルス技術導入のプロセスも煩雑化してきており、FDA承認が取られていないものやエビデンスが全くないものについては院内での臨床研究の承認が下りない状況となっています。これはまさに従来の伝統的医療機器(治療系・診断系)と全く同じ導入フローであり、今後もまずはリサーチ用途としてエビデンスを積み上げてから横展開を目指すという上市までの数年間の流れを見据える必要があるでしょう。

例えば、Evidation Health社は、病院側でデジタルヘルスの活用方法を提案する2014年設立のベンチャー企業であり、幾つかの大規模病院でウェアラブル導入が進む中、自社が抱えるデータアナリストを中心に分析・コンサルティングを提供しています。昨年上場したFitbitをCOPD患者のモニタリングに適用する試みも行っており、ACAの規定を満たすため、再入院率を減らす・病院訪問の回数を減らすといったKPIをエンドポイントとして、病院側の立場に立って仮説検証を行っています。なお、このEvidation Healthの取締役には、Rowan Chapman氏(GE Venturesのヘルスケアチームのヘッド)が参画しており、GE VenturesのCVCとしてのスタンスもうかがえる形となっています。

なお、環境要因の違いはありますが、日本の大病院の中でも少数ではあるものの、同様の傾向が散見されます。状況が一変するのはタイミングの問題とも言えますが、一方でベンチャー側の数や質にはまだまだ圧倒的な違いがあります。(※4 参考資料:日本医学会総会 2015 学術展示委員会 医療IT WG作成「不都合な未来」)

■製薬
この大きな市場環境の変動に対して、製薬企業はどう向かい合っているのでしょうか。
Flatiron Health社のCMOであるAmy Bernethy氏はこう言っています。(※5)

“With health data becoming more readily available in a more digestible form, payors and providers alike will have more information to link drugs to outcomes and inform value-based pricing”

Flatiron Health社は、EMR/EHRを含む複数のデータソースから各がん患者に最適な治療方針を医療従事者に提供する事業を行っています。Googleに広告スタートアップを売却した創業者2名が2012年に創業し、これまでGoogle Venturesを中心に大型の資金調達を続けています。(2014年にシリーズB(US$130M)、2016年医シリーズC($175M))

マーケティングにおいては各国の規制の差はありますが、日本では早くからエムスリー・MedPeerといった医師向けのプラットフォームがデジタル・マーケティングを主導してきており、グローバルファーマも過去5年でデジタルに力を入れてきています。また、R&Dにおいてもデジタル化は進みつつあり、特に治験の効率化と正確性の向上を目的としてウェアラブルを用いたモニタリングの導入が進んでいます。

一方、デジタルヘルス技術を事業化する領域として製薬産業が最適かと言うと、それを明確に言える成功例はいまだ確立されていないことも事実です。米国を含め、薬事・保険償還において明確な道筋は整っておらず、製薬企業のR&Dへの応用についても有用性を証明するエビデンスに乏しい状況が続いています。だからこそ力技で勝負するファースト・ムーバーに勝機があるタイミングという見方もあります。(※6)

■ゲノム技術
昨年のMIT Technology Reviewでは、トップ10に選ばれたブレークスルー技術のうち、3つがNGS(Next-Generation Sequencing:次世代シーケンサー、以下NGS)によって実装されている技術でした。(※7)

#1. Liquid Biopsy
– simple blood tests to catch cancer early
#2. Supercharged Photosynthesis
– advanced genetic tools to boost crop yields
#3. Internet of DNA
– a global network of genomic data to improve medical care

“Liquid Biopsy”については、前述のGRAILも含め、多くの企業が参入してきている領域です。癌診断や再発モニタリングの方法を大きく変えてしまうインパクトを持っており、まさにゲーム・チェンジャーになり得ると言われています。(※8)Liquid Biopsyの技術的な課題は、血液中から得られる微量DNA量からがん由来のDNAを検出できるか否か。そしてその微量DNAから精度の高いシーケンシングが可能か否か。これらの技術フィージビリティについて、当該業界では活発な議論がなされており、$1,000以下のコストを目指しているとのことですが、実現すればNGSが診断・技術プラットフォームとして既存の技術を塗り替えてしまうインパクトを秘めています。(※9)
Illuminaから上記GRAILに参画するCMOのRichard Klausner氏は、元NCI(NIHのがん研究所)のディレクターです。NGSは2013年にUniversal Kitとしての承認も受けており、今後さらに医療システムの一部に組み込まれていくことでしょう。また、2016年2月にはCEOの人事も発表され、元々はGoogle Xで勤務していたJeff Huber氏が登用されました。彼は2014年からIlluminaの取締役も務めていた人物です。Illuminaは、後述するHelixに続き、自社のコア事業領域以外で大きな市場機会を秘めるアイデア・技術をIllumina Acceleratorを用いて立て続けにスピンアウトしており、積極的な姿勢が垣間見られています。

“Internet of DNA”については、先進国各国で動きが進んでいます。前述したように、2015年初頭にオバマ大統領はPrecision Medicine Initiativeへの支援を表明しました。加えて英国では、保健省(the Departmnet of Health)が2013年に10万人分の全ゲノムシーケンスを行うGenomic Englandを立ち上げました。5年間でがん(肺、小児、家族性、原発巣不明の転移)、稀少疾患、感染症(HIV、結核、C型肝炎、抗菌剤強抵抗性)の患者10万人分のWGSを実施し、プロジェクトに参加した患者には医師を介してフィードバックを行う予定です。

このように、医療に限らず幾つかの具体的な用途においてgenomicsは社会実装されつつあります。Illumina CEOのJay Flatley氏が言うように、まさにInflection Pointにあると言えるのではないでしょうか。
“Genomics is reaching an inflection point in cost, volumes, and knowledge, creating a significant opportunity to unlock information that is currently not widely accessible to individuals”

※なお、NGSに関する最新のイベントについては、下記の動画トップ10方式で分かり易くハイライトがまとめられています。(※10)

ここで、昨年12月にサンフランシスコで行われた「UYG」に出席したレポートを簡単にご紹介します。今回のサンフランシスコでのUYGは、ゲノム技術に積極的に投資を行っているキャピタリストを対象にしたテーマとなっており、実際に出席者も各大手製薬のCVC達に加えて、NEA、Khosla Ventures、Bay City Capital、Qualcomm Ventures、GE Venturesと言った当該領域で積極的に投資をしているVCから参加者が集まっていました。
この日の講演の中で、ゲノム技術が各領域でどのように導入されていくか、そのタイミングについてIlluminaのメンバーより予見が示されています。

More innovation to come
・tumor samples routinely sequenced / standard of care : 2-5 years
・sequences accessible in EMR : 3-5 years
・infants routinely sequence at birth : 6-8 years
・cancer managed as chronic disease : 7-9 years

過去3年の進展を見るとこの予想は極めてアグレッシブにも思えますが、次の5年間でこれぐらいのスピード感で進む国や地域もあり得るかもしれません。上記の「Cancer Moonshot 2020”」もまさに癌を管理可能な慢性疾患にするための産業界全体のアクションであり、このIlluminaの展望とも近い展望を描いています。(These are the technologies that can help achieve the cancer moonshot

さらに、本カンファレンスで最も注目を集めていたのが、最後に行われたパネルディスカッションです。モデレーターは、GE Ventures and HealthimaginationのCEO Sue Siegel氏が務め、パネリストとして、Randy Scott氏(Genomic Healthの創業者、現InVitae社CEO)に加えて、Helix社のCo-founderが参加しました。このHelixは、IlluminaがWarburg Pincusと8月にUS$100Mで設立した新会社で、創業以来メディアで一切取り上げられず、どのようなビジネスモデルを描こうとしているのか議論の的になっていましたが、このカンファレンスでHelixのCo-founderのJustinからは彼らの目指すビジネスモデルの一部が語られました。また、今年に入りJP Morgan Healthcaer Conferenceでも彼らの取り組みについて一部披露されています。デューク大学やMayo Clinicとの共同研究のテーマは、主に一般消費者向けの教育・有用性の評価のようです。
■総括
これらデジタルヘルスは「破壊的イノベーション」を起こしているのでしょうか。過去10年で米国では、ACAが施行され、保険加入者が急増し、民間保険産業には既に「ユニコーン」ベンチャーが登場してきています。まさに「新市場破壊」と呼ばれる現象です。依然として医療費は増え続けており、破壊的イノベーションを起こそうとする病院や企業は年々増加しています。

一方で、最前線で積極的にVC投資を行っているキャピタリストたちは、デジタルヘルス(Healthtech)をBiotech/Medtech(医療機器)に続く重点領域の一つとしては見ているものの、全体的には冷静に考えています。

今年に入ってデジタルヘルスの権威Eric Topol氏が発表した、自身がディレクターを務めるScripss Translational Science Institute(サンディエゴ)で実施されたデジタルヘルス関連のサービス・デバイスを活用した6ヶ月のランダム化比較試験の結果によると、短期的には治療効果に関する統計的な有意差が得られませんでした。
A prospective randomized trial examining health care utilization in individuals using multiple smartphone-enable biosensors

よってこれらの事実を俯瞰的に見てみると、過去数年間でいずれかのデジタルヘルス技術が抜本的に医療の仕組みを変えたかという疑問にはNoと言わざるを得ない状況です。しかし、それは技術の問題ではなく、戦略や環境の問題であるようにも思えます。技術志向で考えるとどうしても急激な変化を求めがちですが、たとえ時間がかかるようには見えても、上記で言及した院内フローの改善や癌診断のように具体的な用途・ターゲットに絞って戦略・エビデンスを積み上げていく必要があると言えるでしょう。

※1: http://www.wsj.com/articles/theranos-stops-drawing-blood-from-patients-at-capital-bluecross-pennsylvania-store-1454093470
※2: http://rockhealth.com/reports/digital-health-funding-2015-year-in-review/
※3: https://goo.gl/HHq4QW
※4: https://youtu.be/fq8-FQ_T8c4
※5: http://www.mckinsey.com/insights/pharmaceuticals_and_medical_products/how_pharma_can_win_in_a_digital_world
※6: https://www.cbinsights.com/blog/big-pharma-investing-private-markets/
※7: http://www.technologyreview.com/lists/technologies/2015/
※8: http://goo.gl/BY4jmM
※9: http://goo.gl/oJDmvJ
※10: http://acceleratingscience.com/behindthebench/sequencing-moments-that-mattered-2015/